用語解説
                                      更新日:2003年9月10日
見出し語 解説
JSS(PCJSS) 正式名称はParbattya Chattegram Jana Sanghati Samithi、チッタゴン丘陵地帯人民連合党。このホームページでは英語名Chittagong Hill Tracts People's United Partyから「民族統一党」と訳している。他にベンガル語から「チッタゴン丘陵人民連帯連合協会」とする訳がある。
アディバッシ 「原住の人々」という意味。部族民。言語的な意味や使われ方は中南米での「インディヘナ」に近い。インド、バングラデシュの伝統的な身分社会の外部にいて、地理的にも隔絶した地域に住み、固有の領地、首長(Raj,ラジャ=王)、社会的文化的基盤を有していた民族集団とその人々。
アルナチャル・プラデッシュ州 Arnachar Pradesh 中国、ブータン、ネパールと国境を接するインドの州。50を越える言語的に異なった民族がおり、民族学、言語学の宝庫といわれる。1962年、インド政府はカプタイダムによるジュマ難民2万人を当時のフロンティア州であった同地に入植させた。現在、約7万人のジュマがいるが彼らは未だに市民権を与え得られず、同州の民族主義者たちの攻撃にさらされている。州議会は近年、ジュマ入植者の撤退を決議。インド政府、人権委員会、裁判所などはそのような措置が無効であるとしている。
イギリス連邦
コモンウェルズ

イギリスの統治領および旧植民地、カナダ、オーストラリア、インド、バングラデシュなど。ただし、オーストラリアは連邦からの離脱を決定している。

オルナチョル アルナチャルのベンガル語的カタカナ表記。ベンガル語表記では”A”が、ア、オと両方の発音で用いられる。ただし、「アルナチャル」は地図その他で用いられ、ヒンディ語の発音に近い表記。このホームページでは、カタカナ表記については厳密には扱っていない。
カプタイ・ダム カルナフリ川水力発電ダムの通称。または同ダム湖を指す。CHTを流れるカルナフリ河をせき止め1957年頃に建設が始まり、62年に完成。主にアメリカの援助で建設された。20年後の1979年から82年にかけて日本の援助で第2発電所が建設された。キャプタイ・ダムと同じ。
カプタイ・ダムによる難民 カプタイダムはチッタゴン丘陵地帯の平坦な耕作地の約6割を湖底に沈めた。沈んだ建物の中にはチャクマ・ラジャの王宮も含まれる。これによって、当時のCHT人口約30万人のうち、10万人が家と土地を失い、開発難民となった。それらの人々に対して政府からは被害に対する給付がなされず、4万人を越える人々がインドに難民として流出した。主な行き先はトリプラ州、ミゾラム州。残りの人々は国内難民となった。オルナチョル・プラデシュ州の項参照
先住民作業部会

先住民作業部会(人権小委員会) 国連経済社会理事会はコーボ報告を受けて1982年「先住住民(Indigenous Populations)に関する作業部会」の設置を決議した。作業部会の目的は、1)先住民族の人権保護と促進に関する各国政府の施策の見直し、2)先住民族の権利に関する権利宣言の準備である。第一回目の部会は同年8月9日に開かれ、現在、国連において「先住民族の日」となっている。作業部会は第11会期において「宣言」(案)を合意し、人権委員会に報告した。部会には例年、世界中の先住民族が参加し、活発な議論を行っている。日本からは、アイヌ民族代表に加え最近では沖縄民族からも数人が参加している。また、市民団体としては市民外交センターが早くから参加し、作業部会の情報を伝えてきた。ジュマ民族からも例年参加している。

「先住民族」の定義を巡る問題

バングラデシュ政府は、「ジュマ民族」という言葉も、彼らが先住民族であるという主張も認めていない。CHTの部族民は16世紀から19世紀にかけて、ビルマやインドから来たからだ、というのが理由である。代わって、政府は国連先住民作業部会で「バングラデシュの人民、1億3千万人は先住民族である」と発言している。これは、ヨーロッパの植民地支配を受けた民族はすべて先住民族とし、民族独立後はその国家内においては先住民族問題は存在しない、という論議である。近代国家形成過程における統合の問題と、その後の国家内植民地化、主流民族による抑圧的支配の問題などを無効にする議論である。結果、土地・資源の収奪、民族文化の否定、民族抹殺政策などの不当な扱いを受けてきた先住民族の自決権と先住権などの権利回復を真っ向から否定する論理である。

ジュマ民族 CHTの先住民族の総称。正確にはジュンモという発音が近い。CHTには言語、文化、宗教的に異なる13の民族集団がおり、共通の特徴はモンゴロイド系で非イスラム教徒であること、多かれ少なかれジュム耕作に頼ってきたことである。この言葉はかつてベンガル人によって"遅れた焼き畑民”を差別する言葉として使われてきたが、CHT先住民族を統一的に表す用語として権利回復運動側が取りれた用語である。ある統計ではCHTの先住民族のおよそ7割の人々がこの言葉を受け入れている、という。
ジュム ジュムは焼き畑移動耕作を表す言葉。熱帯雨林のジャングルでは表土が薄く、特に山の傾斜地を利用した耕作では焼き畑が一般的である。ジュマ民族の場合、耕作地の利用は、かつては一年間で十数年は休耕地としていたが、現在では2年から3年利用し、その後、10年間休耕地とするとするのが一般的と言われている。
チッタゴン丘陵地帯 バングラデシュの南東部にある丘陵地帯。Chittagong Hill Tracts. インドのトリプラ州、ミゾラム州、ビルマのアラカン地方との国境地帯。面積はバングラの約1割の5,093平方マイル。アラカン山脈の一部をなし、海抜は平均700メートル程度。熱帯雨林地帯に属する。チッタゴン丘陵という用語はイギリス植民地政府がつけた言葉。そのため、Jumma Land と名称を変更すべきであるという主張がある。
チッタゴン高原 チッタゴン丘陵地帯と同じ。
チッタゴン市 バングラデシュ第2の都市で、唯一の港湾都市。チッタゴン丘陵地帯を流れるカルナフリ川の河口に位置する工業都市。飼料工場や製紙工場などに日本のODAから多大な援助がなされている。チッタゴン丘陵の名前の由来となっている。元々、チャクマ民族などはチッタゴン市やコックスバザールなどの平野部に多く住んでいたが、ベンガル人の人口圧力によって丘陵地帯に追いやられた。
民族統一党 JSSの項参照
トリプラ州

バングラデシュに首を突き出すようにあるインドの州。インド独立当時、トリプラはトリプラ王国で人口の7割以上をトリプラ民族が占めていた。50年、州となる。独立時の混乱で、多数のヒンズー教徒のベンガル人が流入し、現在300万人の州人口の8割をベンガル人が占め、多くのトリプラ人は居留地に押し込められている。トリプラ民族の運動では二つの互いに対立する民族独立戦線がインドからの独立と権利の回復を目指して武装闘争を展開している。

バングラデシュ バングラデシュ人民共和国。バングラデシュとはベンガルの、また、ベンガル語の国、という意味。国土の面積は14、4万平方キロメートルで北海道の約2倍の広さ。人口は現在の推計で約1億3千万人。内、1%が少数部族民。1947年パキスタン回教共和国東パキスタンとして発足し、1971年12月16日バングラデシュとして独立を果たす。
ミゾラム州のチャクマ インド・ミゾラム州にはチャクマ民族の行政区域(居留地)がある。しかし、最近になってミゾラム州では反政府ゲリラ活動が落ち着きを見せる一方、チャクマをターゲットにした民族的排外主義者の活動も活発化している。
南アジア 南アジアの地域は南北はヒマラヤ山脈以南からインド洋まで。南アジア地域の国は、インド、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、パキスタン、モルジブ共和国。
UPDF

<United Peoples Democratic Front>、統一人民民主戦線 和平協定に反対するProsid Bikash Khisha、Sanchai Chakmaらが1998年に結成。

PCP <丘陵学生評議会> ジュマ民族の学生政治組織。1980年代に結成。1997年、和平協定締結に賛成か反対かを巡ってPCJSSとUPDF双方のフロント組織として分裂した。
HWF <Hill Women's Federation> PCJSSの女性フロント組織(合法組織)として1991年に結成された。PCPと同時に分裂している 。 1996年6月に軍に拉致され行方不明のままとなっているKalpana Chakmaは同組織の事務局長であった。
チッタゴン丘陵地帯女性協会 <PCMS> 1980年代にPCJSSの非合法女性組織として結成される。90年初頭に合法組織HWFが結成され合流したが和平協定後に既婚女性の組織として再出発している。
ジュマ帰還難民福祉協会

トリプラ州難民キャンプで1990年に結成されたジュマ難民福祉協会が1998年の全員帰還後に移行した帰還難民の政治的な代表組織。初代会長はUpendra Lal Chakma。

バングラデシュ・アディバシフォーラム バングラデシュに居住する先住民族の統一組織。2001年の結成時で平野部、丘陵部合わせて45民族が参加する。2003年時点で代表はションツ・ラルマ(チャクマ)、事務局長はShanjip Dron(ガロ)。
アンサル ANSAL 農村地帯の開発、教育などの任務も持つ準軍事組織。多少違うが屯田兵のような組織といっても大きく間違ってはいない。
村落防衛隊 村民が隊員である自警団に相当し、軍の指導を受ける。また、成績優秀な青年は正規軍に昇進する道も用意されている。